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謝罪論 謝るとは何をすることなのか

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「すみません」では済まないとき、何をすれば謝ったことになる? 学際的な知を総動員して、「謝罪の全体像」に迫る!


責任、償い、約束、赦し、後悔、誠意への懐疑――
謝罪の機能や不適切な謝罪の特徴を解き明かし、
学際的な知を総動員して、「謝罪の全体像」に迫る!

【本書の内容】
親はある時期から、悪さをした子どもを叱る際、そういうときは「ごめんなさい」と言うんだ、と教え始める。すると、子どもはやがて、「ごめんなさい」と言うことはできるようになる。けれども今度は、場を取り繕おうと「ごめんなさい、ごめんなさい……」と言い続けたり、「もう『ごめんなさい』と言ったよ!」と逆ギレをし始めたりする。

「違う違う! ただ『ごめんなさい』と言えばいいってもんじゃないんだよ」――そう言った後の説明が本当に難しい。「すみません」で済むときもあるが、それでは済まないときも往々にしてあるからだ。「すみません」といった言葉を発したり、頭を下げたりするだけでは駄目なのだとしたら、何をすれば謝ったことになるのだろうか。声や態度に表すだけではなく、ちゃんと申し訳ないと思い、責任を感じることだろうか。しかし、「申し訳ないと思う」とか「責任を感じる」とはどういうことなのだろうか。そして、そのような思いや感覚を相手に伝えるだけで、果たして良いのだろうか。結局のところ、「謝る」とは何をすることなのだろうか?

本書では、満員電車のなかで意図せず他人の足を踏んでしまったときの謝罪から、強盗の加害者による被害者への謝罪、さらには、差別的言動や医療過誤、戦後責任などをめぐる謝罪に至るまで、多様な事例を具体的に取り上げながら、「責任」「後悔」「償い」「赦し」「当事者」「誠実さ」といった、謝罪をとりまく重要な概念同士の関係を丹念に解き明かしていく。そして、謝罪という行為の全体像を描き取ることを通して、「謝るとは何をすることなのか」という問いに対する十全な回答を提供する。

本書のこうした道行きは、不適切な謝罪と不必要な謝罪がともに蔓延するいまの日本の社会状況に対して、これを批判的に分析するという要素も併せ持つだろう。この社会で他者とともに生きていくための手がかりをさぐる、実践的探究の書。

【著者略歴】
古田徹也〈ふるた・てつや〉
1979年、熊本県生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科准教授。東京大学文学部卒業、同大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(文学)。新潟大学教育学部准教授、専修大学文学部准教授を経て、現職。専攻は、哲学・倫理学。『言葉の魂の哲学』で第41回サントリー学芸賞受賞。その他の著書に、『それは私がしたことなのか』(新曜社)、『ウィトゲンシュタイン 論理哲学論考』(角川選書)、『不道徳的倫理学講義』(ちくま新書)、『はじめてのウィトゲンシュタイン』(NHKブックス)、『いつもの言葉を哲学する』(朝日新書)、『このゲームにはゴールがない』(筑摩書房)など。訳書に、ウィトゲンシュタイン『ラスト・ライティングス』(講談社)など。

目次

プロローグ

第1章 謝罪の分析の足場をつくる
第1節 〈軽い謝罪〉と〈重い謝罪〉――J. L. オースティンの議論をめぐって
第2節 マナーから〈軽い謝罪〉、そして〈重い謝罪〉へ――和辻哲郎の議論をめぐって
第3節 謝罪にまつわる言葉の文化間比較

第2章 〈重い謝罪〉の典型的な役割を分析する
第1節 責任、償い、人間関係の修復――「花瓶事例」をめぐって
第2節 被害者の精神的な損害の修復――「強盗事例」をめぐって①
第3節 社会の修復、加害者の修復――「強盗事例」をめぐって②

第3章 謝罪の諸側面に分け入る
第1節 謝罪を定義する試みとその限界
第2節 謝罪の「非本質的」かつ重要な諸特徴
第3節 誠実さの要請と、謝罪をめぐる懐疑論

第4章 謝罪の全体像に到達する
第1節 非典型的な謝罪は何を意味しうるのか
第2節 謝罪とは誰が誰に対して行うことなのか
第3節 マニュアル化の何が問題なのか――「Sorry Works! 運動」をめぐって

エピローグ

文献表
あとがき
索引

(版元webサイトより)

著者:古田徹也
発行:柏書房
発行日:2023/09/22
ISBN:9784760155330
判型:四六判
ページ数:304

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